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ペルニクス的転換をしたわけですが、そういう状況の中で、末次さんの言葉を引き取っていくと、これも言葉遊びになるかもしれませんけれども、国民から市民へと、健全な国民を育てるシステムから、健全な市民を育てるという、そういう方向転換というか、そういう価値の置き方に変わってくるのではないかなという気がします。
市民という言葉は、私自身もIBCという会社でアメリカとかヨーロッパに行きまして、現地で工場生産している日系企業が、地域の住民の人たちとうまく関係を取り結んでいく、そのお手伝いをしているんです。事業としては、そこのローカル紙の新聞記者を日本に呼ぶとか、あるいは工場の周りの、これは小学校、中学校、高校とありますが、社会科の先生を五、六十人呼んで工場見学をしてもらって、そして工場を見学する場合の副読本を皆さんに差し上げて、あとでパーティーをやる。工場と学校の社会科、それから技術の先生方との交流を図るというふうな事業展開をして、日系企業がうまく地域に溶け込んで仕事をやっていけるよう工夫をこらしているんです。まずアメリカヘ行って、日系企業のビジネスマンがどう生きるか、これはまさに市民というか、その地域の住民に、コミュニティーの一員になるという生き方を第一義にしないとうまくいかない。
この地域の住民、市民になるというのはどういうことかというと、すべてを外して個人に戻る。四方洋という名前の人間だったら、もうただの四方洋に戻る。肩書も要らん、どこの国から来たかも要らん、どこの会社に勤めているかも要らん。そこに住んでいる個人のみである名刺でいうと、名前と住所とが書いてあるだけの人間であるそこからスタートするそこからスタートすると、なかなかお互いに腹の中がわかりにくい。わかりにくいからどうするかというと、みんなで地域活動をやるあるいはボランティア活動をやるだから、アメリカの社会で日本人が率先してやっているのは、例えば学校の事業に積極的に参加して、一緒に働いて、汗を流して、その後一緒にビールを飲んで仲間になる。そういう関係で市民になっていく。
あるいは子供が、アメリカの場合は夏、キャンプは民主主義の学校であるというぐらい、キャンプを大事にして、子供たちはこぞってキャンプに行きますが、これに親がついていく、お父さんがついていく。お父さんはそこでいろんな人と知り合って、そこでキャンプを舞台にした一種のコミュニティーができ上がっていって、お父さんはいろんな人と仲間になるもちろんキャンプのときに木を切ってきたり、あるいは火を燃やしたり、お米を炊いたりという作業も分担しながら親同士が神よくなる。そこでは、インドから来た人であろうが、韓国から来た人であろうが、もうどこから来た人でもみんな一緒になってやるそういう作業を通じて仲間の形ができ上がっていく。
それが一種の市民の誕生というか、誕生から成長というふうになっていくわけで、市民は国民とどこが違うかというと、まず地域、あるいは住んでいるところに根をおろして、そこから育っていく。育っていって、しかも地域に何らかの貢献をするその場合のつき合い方は、何の予断も先入観もない、一個の全く個人であるただし、そういう個人であるから、個人的に責任もとらねばいかんし、個人的に判断もせねばいかんし、個人的に自己表現もせねばいかん、PRも主張もせなければいかんというふうなことで、すべてがそういうふうに機能していくのを市民と考えると、国民から市民をどう育てていくか。将来の市民をどう育てていくかというのが、これからの若者の課題だろうと思います。そういう育て方をしていくことによって、グローバルな日本人というのが生まれてくる。
きのうでしたか、朝日新聞の「天声人語」に住友商事の秋山さんの話が出ていましたけれども、とにかくアメリカに1人で行ったときに、会社の名刺は何の役にも立たなくて、本当に自分は一個の人間としてみんなとつき合って商売をやっていった。それがグローバルなんだ。要するに、何もなくて自分で1人でやっていくのがグローバルなんだ。肩書もなくてやっていくのがグローバルなんだということを書いていましたけれども、市民という考え方は、そうだと思っています。青年の家の議論をやると必ず出てくるのが、かた苦しいとか、画一的であるとか、あるいはいろんな規則が多過ぎるとか、そういうこ

 

 

 

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